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大陸の北方に位置する大国・王城キングダムの長かった冬が、やっとのことで終わりを告げかけていたその矢先。春の雪解けは、ついでにとんでもないものまでもを凍土の下から掘っ繰り返してしまったらしく。思いも拠らない方向からの、ただならない事態が持ち上がり、気がつけば…あっと言う間に、物にも人にも、そしてそれぞれの心にも、それぞれに様々に、大きな喪失の傷を抉られてしまっていた彼らであって。誰にも何の心当たりもなかったのは勿論のこと、何の前兆もない突然の奇襲だったこともあり、ここまでは翻弄されてばかりなこちらの陣営だった訳ではあるが。全容の半分ほどが何とか見えて来たここいらで、こっちも腹をくくる必要があるとの覚悟の下に、手札を揃えて能動的な姿勢を立て回そうぞと構えたその最初の一歩として……… 彼らが選んだ“次の行動”というのが。
「確かに、そのような伝承もありはしますが。」
窓の外にはまだまだ陽の弱いこんな季節でも鮮やかに青い空が広がっていて。此処はこの大陸で最も天に近い場所なのだということを知らしめる。武骨なくらいに素朴な作りの屋敷の奥向き。昨夜 対面したのとはまた別の広間にて、アケメネイの隠れ里を守りし惣領様が、少々戸惑いを含んだお顔をなさったのは。陽白の一族の末裔“光の公主”様と、その隋臣である“金のカナリア”こと、頼もしき参謀格の蛭魔とが、この地への来訪・帰還を果たしたその翌日の朝っぱらから、とんでもないことを口にしたからに他ならず。
『…彼らのあの赤い眸が、闇の咒に関わったものだとするのなら。』
『僕が邪魔だからって、亡き者にしたいのかも知れませんね。』
この隠れ里にも襲い来た、その手腕も行動もただならぬほど周到で手強い“敵”の一団が。もしかしてもしかしたなら“闇の咒”という禁じ手にまで手を出している恐れもあるということから。だからこそ…陽白の一族が後世に復活せよと遺しし存在である この自分のことを、疎ましいとする人たちなんだと解釈し、しょんぼりしてしまったセナへと向けて、
『水晶の谷へ行ってみようや。』
闇を祓い、邪悪を誅する、聖なる剣。負の陰体を根絶やしにして滅ぼすほどもの、陽白の祈りが籠められた伝説の聖剣は、もともとはその“水晶の谷”ってところから持ち出されたらしくって…と。彼らを此処まで導いた、惣領様の次男坊が、単なる慰め以上のノリにて、思い出したる伝承を実まことしやかに話したらしく。
『伝説ではエルフの守る特別の“クリスタル”があるんだと。』
『それを鋳込むと、振るう者の放つ聖なる力に共鳴して、陽の咒力が倍加されたり、斬撃の威力も増すとかいう話で。』
元はと言えば。今回の襲撃者の正体である“炎獄の民”の名にしたところで、彼が幼い頃に聞かされたという口伝の物語から思い出したこと。その存在があの不吉な紋章ごと、単なる伝承から息を吹き返して“実在”した今…彼らの実在によってというのも皮肉ながら、そっちの話とやらも頼りアテにしてもいいのではと踏んだ、金髪痩躯の黒魔導師様であったらしく。
『それって一体、聖域のどこにあるんだ?』
朝餉が済んだばかりの場にて唐突に問われた惣領様。何とか仔細を察してからも尚のこと、困ったようなお顔になり。ついでにちらりと、同じ卓についていた…要らんことを言ったらしい張本人でありながら、素知らぬお顔で通している不肖の息子を睨んでから、冒頭の一言、
『確かに、そのような伝承もありはしますが。』
そんな風にお答えになり。それから、
「ただ。その伝承には続きがございます。」
炎眼を持つ“炎獄の民”の一派が現実に襲い来たことと、そっちの…エルフがいる“水晶の谷”とやらの実在というのとは、それらを語り継いで来た当事者の彼らにでさえ、レベル的に並べるに値しにくいことであるらしく。
「続き?」
お膝に載せた大トカゲのカメちゃんへ、朝食のお皿に添えられてあったお芋のお団子を…こっそりと手づから食べさせてあげていたセナが小首を傾げながら問い返すと、
「はい。」
惣領様は真摯なお顔で頷いて、
「聖域のどこかにあるという“水晶の谷”には、エルフが守りし“アクア・クリスタル”が隠されている。それを手に入れた者は、アケメネイから下界へと降り立ち、大地の精霊ドワーフに掛け合い、特別の技法によってそのクリスタルを鋼へと鋳込んでもらい、それで出来上がるのが聖なる剣…ということになっておりますれば。」
つまり。エルフが実在するかしないかはともかくとして、アクア・クリスタルらしき水晶があったとしても。その上になお、アケメネイよりも広い広い大陸のどこかに居るらしき、大地の精霊“ドワーフ”とやらまで探さねばならないという、もっと遠大な正に夢物語。とてもではありませぬが、実際に実現させようというには随分と無理があるやもしれぬこと。少なくとも今すぐ何とかという運びには出来そうもないと思われますが、と。愚息の言い立てたとんだ世迷い言を、申し訳ございませんと重ねて詫びるような言いようをなさる惣領様だったりしたのだが。
「…大地の精霊。」
手のひらの上にお芋がなくなったことさえ気づかぬままに、その大きな瞳を見開いて。セナ王子がどこかぼんやりとしたお声で繰り返したのは、そりゃあ確かに無理な条件ですねと絶望・落胆した上で呆然となさった………からではなく。
「ドワーフさんって言ったら。」
「もしかして…あの爺ぃのことか?」
「妖一、そんな失礼な言い方は…。」
そりゃあそりゃあすみやかに、お顔とお顔を見合わせたのが、セナと蛭魔とそれから桜庭と。
「でもでも、あんな騒ぎもありましたし、怒ってらっしゃらないでしょうか。」
「いやいや、恐縮してこそあれ怒っちゃあいないだろうさ。」
「そもそも、城の守護の精霊とか何とか大威張りで言ってやがったのにこの始末だぞ。怒ってなんかいやがったなら、俺様がまたぞろランチャー担いで一騎打ちに持ち込んでやらぁ。」
何やらぼそぼそと…ところどころで物騒な台詞まで飛び出しつつ、何かしら打ち合わせてたりする彼らなものだから。そこから何かしら察した葉柱が、精悍な表情をさして崩しもせぬままに、ぼそりと一言、父上へと告げた。
「………心あたり、大有りだったりするらしいぞ、親父。」
「らしいな。」
色々と蓄積があるってのも困ったもんで。あ・いや、困らんのだわ、今回は。(苦笑) ともかく、これで彼らの次の行動もきっちり定まった気配ではあったりするらしい。
◇
一年の内の3分の1もあろうかという、長くて辛い、雪深き厳寒の続いた王城キングダムの冬も、日に日に…それこそ薄紙を剥がすようなペースにて、次の季節である暖かな春へと入れ替わろうとしている気配。城塞に囲まれし城下の街のすぐ外の、都市向けの作物を作っている農家の方々が荷を引いて来てはお店を広げる、朝一番の市場のにぎわいもまた、持ち込まれる作物の多彩さが増すのに比例して、溌剌と威勢のいいそれへと少しずつ少しずつ戻りつつあって。
「お兄さんお兄さん、今日はツゥーラの新芽が入ったよ。」
「へぇ〜、美味しいのかい?」
「美味しいし、何と言っても滋養がつくよ、1束いかがかね?」
「そうだな。じゃあ、そっちの菜ものと一緒にいただこうか。」
そんな城下に幾つかある広場の1つに堂々と、例の“彼ら”はその身を置いていたりする。迅速な行動とわずかな咒による暗示とを駆使して、まんまと入り込んだ城下の街の一角にて。人知れず、雪の下の土を掘っての準備を進め、その塒アジトを隠蔽するためのテントを張り、
『それでしたら、フィングリア広場で南から来た大道芸人たちが
見世物のテントを開催しておりますよ?』
中空高くに張り渡したロープを、命綱もないままにスタスタと渡ってゆく軽業師や、炎舞う松明たいまつを何本も両手でジャグリングして見せる、命知らずのスリリングな芸などが評判ですよ…と。昨日の朝方、お忍びでの外出をなさった王弟殿下とそのお連れ様ご一行へ、門衛が薦めていた大道芸人たちの集まり。雪が降り出せばあっと言う間に外界への道を閉ざされてしまう、そんな不便な街だというのに。演目の多彩さが身を助けたか、長い冬場の間中、評判を保ったままにて興業し続けているという奇特な一座であり、そして。
「どうやらグロックスは城の中にはないようだ。」
「そうか。」
買い出しから戻って来た当番の者たちの中、荷物を仲間に任せて…テントの奥、荷箱の上に腰掛けていた青年へと歩み寄った一人がこそりと囁く。何も知らない本物の芸人たちが半分と、演目に出はするが、雑用もこなしはするが、どこかで彼らとは一線を引いたような存在の“団員”たちと。咒の影響力を外へと漏らさぬ細工の施されたテントは、彼ら一族には必須の持ち物。だからこそ、その内部での活動も、外へと漏らすことなく進めて来れたのではあったが、
「阿含、あとで足首診てくれない?」
挫いちゃったかもなのようと、通りすがりに華やいだ声をかけられたのへ、
「おやおや、足首だけかい?」
色のついたメガネの奥で目を細め、くくっと意味深に笑ったドレッドヘアの青年へ。一端のお愛想だろう“ば〜かvv”と舌を出して見せてから笑ったのは、疾走する馬の背中で軽業を披露する踊り子の少女。蓮っ葉な口利きは世慣れた振りをしてのせいぜいの虚勢で、心根は純朴極まりなく。だからこそ、あっさりと初歩の暗示でも誤魔化されたままでいる彼女らであり。同じように髪をひっつめにした踊り子仲間と共に、練習のため、隣りの演技場がしつらえられたテントへと消えたのを見澄ましてから、
「僧正様は?」
外から戻ったばかりの方の青年が、低めた声で短く訊けば、
「ん〜、祭壇の間においでだよ。あの騎士殿がいつ覚醒するか、予断を許さないそうだからね。」
のんびりと返した言いようへ、それで通じたか“分かりました”と頷くと。それを目礼代わりに残して、青年は厨房がある方へと立ってゆき。阿含以外に誰もいなくなった空間には、隣り合わせのテントからの様々な気配や声が届きはするのに、妙に森閑として薄ら寒く。テントの布越しに感じられる、外の陽の明るさもまた、雪明かりよりも頼りなく。
「………。」
そんな中にて、ついつい意識を飛ばすのは、既に動き始めている段取りへのシュミレーションへ。何年もの長い間、何度も何度もなぞって来たせいだろうか。動き出した今の今、その進行速度がもどかしいくらいに思えさえする。やっとのことでその行方が判明したグロックスの奪還も、城への侵入も騎士殿の略取も成功し、今のところは順調に破綻なく、計画通りに運んでいる仕儀ではあって。
“こっちがわざわざ言ったことを鵜呑みにせずとも、何かしら意味ありげな代物だというのは薄々感じていたらしかった連中だったし。”
炎獄の民という具体的なフレーズへ辿り着いていたなら尚のこと、その紋章がついたあのグロックスを、おろそかな扱いにはすまいから。
“向こうさんにて丁重に保管しておいてもらえば まあ良いさ。”
光の公主の気配もないところから察して、とりあえず逃げたか。………いいや、もしかしたら。
“…アケメネイへと飛んだのか?”
セナを匿うためかそれとも、彼らはまだ“炎獄の民”というもの、名しか知らないのかも知れず。それでと何かしらをほじくり返しに旅立ったのかも。だとしたら、こっちの生々しい足跡があってさぞや驚くことだろうよとの苦笑を浮かべ、だが、
“悠長に構えてはいられぬのは、こちらも同じだがな。”
あのグロックスこそ、闇の太守の降臨に不可欠な代物。長年その身から引き離されていたものだとて、それへと触れたからこそ…催眠暗示で掘り起こされた深層記憶により、あの古びた屋敷まで引っ張り出された進だったほどに、まだまだ影響力は薄れてはいなかったのだから。今度こそは、この“約束の日”の間に、事を成さねばと。皆の意気込みも、静かな中にも厚みを増している模様。いよいよの始動。満を持しての行動に出た彼らであり、制止することはもはや誰にも不可能だろう。永の不遇が、永の孤立が、その長さで強めた絆は堅く、大望の実現のためならば、死への恐怖さえ至高の快楽へと塗り変わりかねぬほど。
“…けどもまあ、
僧正様もよくも周到に、催眠の咒を詰めた封管を入れておかれたものよな。”
セナがあの城に滞在中だということがさして広められてはいなかったのと同様に、王城最強の“白き騎士”として名を馳せている進が帰還していることも、そして…実は一度その命の灯を消された身だったということも。当然というか…わざわざ明かす必要のないことだからと、下々には公表されてはいないこと。自分たちも前工作にと潜入したからこそ知り得た事実であり、僧正様とて、そこまで詳細を知った上で取っておられた配慮ではないのだろうが、念には念をと構えておいでだったのが、あまりに過ぎる手配りのような気さえして。
“…まあ、そんだけ失策は許されぬことだってのもあんだろうがな。”
この大陸一の国家を統べる王家という、巨大で確固たる存在へさえ楯突こうというほどもの、それはそれは大きな企てなのだ。周到であって当然ではないか。それへと引っ掛かっている自分こそおかしいのかもしれない。もしかして…事態の大きさ恐ろしさに怯んでいるとか? まさかと眸を伏せ、肩をすくめた阿含が、その胸の裡に沈めた意識の先には、丁度 真下にある通廊の奥向き、堅く閉ざされた石の扉の厳然たる威容が浮かぶ。その奥では、何も知らぬままに白い騎士が冷たい石の台座にて、ただ昏々と眠り続けているばかり。
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*ああう。やっぱり年を越してしまいましたです。
あまりの鈍さではございますが、どうかこちらもよろしくです。 |